2011.06.28 : 平成23年厚生委員会
「東京DMAT、医療救護班、薬剤師班」

早坂委員

 本年三月十一日に発生した東日本大震災からはや百日以上が経過しました。多くの犠牲者と被災者の皆様に、まずもってお悔やみとお見舞いを申し上げます。
 本日は、被災者支援におけるマッチングという切り口から、東日本大震災における東京都の対応について伺います。
 厚生労働省の発表によると、岩手、宮城、福島三県の病院の被害状況は、三百八十病院中、全壊、半壊、一部損壊まで含めると三百病院、すなわち八割が被害を受けました。これに対して、東京都は六月十二日現在で、東京DMAT十八チーム五十六人と、医療救護班百四十一班五百四十六人を被災地へ派遣しています。
 そこでまず、東京DMATと医療救護班のそれぞれの役割について伺います。

◯中川原医療政策部長

 東京DMATは、災害発生直後からおおむね四十八時間までの間、災害発生現場等におきまして、東京消防庁等と連携し、多数の傷病者に対してトリアージや救命処置等を行うチームでございます。
 一方、医療救護班は、各自治体が避難所などに設置いたします医療救護所等におきまして、応急処置などを行うチームでございます。
 DMATは外傷の患者が少なくなった時点で活動を終了し、医療救護班は初動期の対応から徐々に内科系、慢性疾患などの対応へ移行してまいります。

早坂委員

 東京DMATの業務は、本来、都内で発生した大規模災害を想定したものです。今回の大震災は、都内で発生したものではありませんでしたが、被害の甚大さをかんがみ、東京都は発災後直ちに東京DMATに出場待機を要請しました。そして、発災当日の深夜には、東京消防庁の緊急消防援助隊の派遣に合わせて、複数のチームが東京都の要請に基づき、被災地に向けて出場しました。この迅速な対応は高く評価されるべきものと思います。
 現地での医療活動は翌十二日から行われ、被災地域からヘリで搬送された被災者のトリアージや医療処置を行いました。実は、私自身も地震発生から十九時間後に、仙台空港の南にある宮城県岩沼市に入り、現地でご遺体の搬送のお手伝いをしましたので、当時の状況をよく覚えておりますが、現地は風が強く、雪が降り、夜間は氷点下にまで冷え込んでおりました。被災地の最前線の過酷な状況下で、懸命な医療活動に当たったDMATのスタッフや東京消防庁の皆様の活動に対して、心から敬意を表するとともに、感謝申し上げます。
 このほかにも、福島第一原子力発電所において、東京消防庁が放水作業を行う際に、DMATが医学的アドバイスを行ったほか、都内で発生した千代田区や町田市の災害現場にも急行したと伺っています。
 そこで、今回の東京DMATの活動を通じて得られた教訓について伺います。

◯中川原医療政策部長

 今回の東京DMATの教訓につきましては、今後検証を行ってまいりますが、現時点で挙げられる主なものといたしましては、次の三つがございます。
 まず、大規模災害の被災現場にはさまざまな障害が立ちはだかり、DMATチーム単独での活動は困難でございます。今回のように、緊急消防援助隊に同行して東京都隊長の指揮下、安全管理下でDMATが組織的に活動を行うことが極めて重要であるというふうに認識しております。
 また、都内、被災地ともに発災直後は通信障害が発生したため、衛星携帯電話など確実な通信手段が必要であるというふうに考えております。
 さらに、被災地での過酷な環境の中で自己完結型の活動が可能であり、かつ長時間の活動に耐え得る装備が必要であるというふうに考えております。

早坂委員

 通信手段の確保や長期間の活動に耐え得る装備が必要だということが教訓として得られたとのことでありました。それを踏まえ、東京DMATによる自己完結型の活動が可能となるよう、今回の補正予算案では大型ドクターカーの配備が盛り込まれています。
 そこで、大型ドクターカーの具体的な整備内容について伺います。

◯中川原医療政策部長

 このたびの教訓を踏まえまして、緊急対策といたしまして、二カ年ですべてのDMAT指定病院二十五カ所に大型ドクターカーを配備することといたしました。
 具体的には、災害現場などへの迅速な移動はもとより、これまで携行が制限されました医療資器材や医薬品に加え、食料、飲料水、季節や天候の変化に対応可能な生活必需品などを搭載するとともに、長時間の活動中の休息も可能となる自己完結型の車両といたします。さらに、平常時は、病院間の患者搬送など、病院救急車としても活用いたしたいと考えております。装備の仕様につきましては、東京DMAT運営協議会におきまして検討してまいります。

早坂委員

 このたびの東日本大震災による患者の特徴は、阪神・淡路大震災のときのものと大きく異なっておりました。阪神・淡路大震災では、建物倒壊に起因した外科的処置を必要とする重篤な患者が数多く発生しました。一方で、東日本大震災では、軽症の避難者への対応と死亡確認に二分され、急性期医療を要する重篤な患者は少なかったようであります。
 このような状況から、東京都は、DMATに引き続き、すぐに医療救護班を被災地に派遣しました。医療救護班の活動の内容と、そこで得られた教訓について伺います。

◯中川原医療政策部長

 医療救護班の活動内容につきましては、今回、都が中心的に活動いたしました気仙沼市の事例に基づきご説明申し上げます。
 医療救護班は、市立病院を活動拠点といたしまして、宮城県の災害医療コーディネーターや市医師会と連携し、避難所に設置されました医療救護所での診療や巡回診療などを実施いたしました。
 また、都の医療救護班は、気仙沼市の指名により、全国から派遣されました医療救護班全体のリーダーとして、活動拠点での朝夕のミーティングを統括するほか、気仙沼市長を本部長といたします市の災害対策本部会議に出席いたしまして、自衛隊、消防、警察、県庁などと情報交換を行ってまいりました。
 今回の医療救護班の教訓といたしましては、今後検証を行ってまいりますが、現時点で挙げられる主なものは次のことでございます。
 まず、現地における市や市医師会を含めた医療ニーズを的確に把握し、このニーズと適切にマッチングするよう、医療救護班を各医療救護所へ配置することや、不足する医薬品を迅速に搬入することが必要でございます。このため、都の医療救護班が務めたリーダーの存在は極めて重要でございまして、そのリーダーを補佐し、市や市医師会等の関係機関や都庁と連絡調整を行う都職員の存在も不可欠でございました。
 また、医療救護班等の連携や意思統一を図るためには、本部機能の設置や毎日のミーティングは極めて有効であったというふうに考えております。

早坂委員

 大変重要なご答弁をいただきました。全国から派遣された医療救護班全体のリーダー、コーディネート役を東京都が担ったという部分であります。
 この規模の大災害が発生すると、日本全国から医療救護の応援チームがたくさん集まってきます。混乱する被災地で多くの傷病者が発生していることは容易に想像できますが、被災情報も土地勘もないままで、それぞれの医療救護チームがばらばらに現場に飛び出していくことでは、本来発揮できるであろう力を十分に発揮できません。混乱した状況の中で、情報の交通整理、マッチングを買って出ることは極めて重要な働きであったと思います。
 医療救護班の宮城県気仙沼市への派遣は現在も続いています。これだけ長期間かつ大規模に医療救護班を被災地へ派遣したことは初めてであり、今回の教訓を今後の対策に生かしていく必要があります。医療救護班の今後の取り組みについて伺います。

◯中川原医療政策部長

 気仙沼市の活動をモデルケースといたしまして、東京で首都直下地震など大災害が発生した際には、地域ごとに医療救護班の活動拠点と、医療救護班全体を統括するリーダーを設置する必要があるというふうに考えております。このため、リーダーの選定方法や情報連絡体制のあり方などにつきまして検討し、十一月に策定予定の東京都防災対策指針に反映してまいります。

早坂委員

 今回、医療救護班とともに薬剤師班を派遣しています。そこで、東日本大震災における薬剤師班の活動内容について伺います。

◯鈴木食品医薬品安全担当部長

 都は、薬剤師班を気仙沼市及び陸前高田市に派遣し、現地では都の医療救護班とともに活動しております。薬剤師班は、災害時の医療救護活動に関する協定を締結しております東京都薬剤師会の協力を得て、これまでに三十七班九十二名の薬剤師を派遣したところでございます。
 被災地では、薬局や薬店、薬剤師の多くが被災し、住民への医薬品供給に支障を来しておりました。薬剤師班は、医療救護班が使用する医薬品等の在庫管理、限られた在庫からの使用薬剤の選定、医療救護所における調剤や服薬指導などにより、医療救護班の診療業務を支援しております。
 また、薬剤師班単独では、薬局や薬店が失われた地域でも、避難所や仮設住宅巡回によるお薬相談や、消毒薬の配布による感染症防止などにより、避難者の健康管理を支援しております。
 今回の薬剤師班の派遣を通して、被災地での医療救護活動に際しましては、医療救護班とともに薬剤師班も派遣することにより、より効果的できめ細かい支援を実施できることが改めて確認できたと考えております。