2012.05.28 : 平成24年防災対策特別委員会
「東日本大震災の教訓」

早坂委員

 東日本大震災では、死者、行方不明者二万人という甚大な被害が発生しました。ここに、改めて心から深く哀悼の意を表します。
 質問に先立ち、東日本大震災の被災地において私が見てきたこと、感じてきたことを少しお話をさせていただきます。
 発災当時は、ここにいらっしゃる委員の先生方同様、私も東京都庁におりました。経験したことのない大きな揺れでしたので、机の下に隠れるよう、控室で大声で同僚議員に呼びかけたことを覚えております。テレビのニュースで、震源地は東北であり、甚大な被害が発生していることがわかりましたので、直ちに自分の車に飛び乗り、あり合わせの支援物資を詰め込んで東北に向かいました。そして、発災から十九時間後に、仙台空港の南、宮城県岩沼市でご遺体搬送のお手伝いなどを開始しました。
 その後、幾度となく被災地に入りましたが、大変心強く思ったのは、被災地のあちらこちらで都庁のイチョウのマークが入った防災服を着たスタッフを見かけたこと、そして警視庁、消防庁の活動を見かけたことであります。
 昨年六月二十八日の厚生委員会では、広域火葬協力について取り上げました。ご遺体の数が膨大であり、かつ火葬場自体の被災と燃料不足が重なり、やむなくご遺体を一時的に土葬し、事態が落ちついてから掘り返して火葬する仮埋葬が多数行われていました。そこで、東京都がみずからトラックを出し、ご遺体を集めて回り、東京で火葬した後にお骨にしてお返しする広域火葬協力を始めて以降、土葬、仮埋葬はなくなりました。
 厚生委員会での質問の後、宮城県石巻市役所で、この火葬協力のご担当者からお話を伺う機会がありました。その方は、東京都からの協力の申し入れで私たちは助かった、こんなにありがたいことはなかったとおっしゃり、当時の状況がよみがえってきたのでしょう、しばらく絶句をされました。そのお話を伺った私も、言葉が出てまいりませんでした。
 私は当選して丸七年になりますが、このときほど東京都の議員であることを誇らしく思ったことはありません。市役所を出て、すぐ都庁の福祉保健局の火葬担当者に電話をかけて、こんなに感謝をされたとお伝えいたしました。
 今お話ししたエピソードは、都庁が行った膨大な支援活動のほんの一例にすぎません。震災瓦れきの受け入れもしかり、東京消防庁ハイパーレスキュー隊の福島第一原発での活動もしかり、あるいは水道、下水道の復旧作業に代表される、地道でマスコミに取り上げられない活動もしかりです。都庁職員の皆さんのかけがえのない働きの数々を心から誇りに思います。
 地震の発生そのものは、防ぐことができません。しかし、そこで発生する被害に関しては、私たちの英知で減らすことができます。東日本大震災の大きな犠牲と教訓を踏まえ、東京に必ず発生する大地震への備えに万全を期してまいりたいと存じます。