2025年4月19日 / 最終更新日時 : 2025年4月19日 hayasakay ブログ どうしていつも手を挙げてるの? 「早坂さんは、どうしていつも手を挙げてるの?」と最近、複数の方から聞かれた。自分の投稿を見直すと、確かにいつも手を挙げている。①相手に合図を送るため②単に目立とう精神③五十肩予防のための肩の運動④ハンドパワーを送るため正解は、以上全て。特に付言したいのは③五十肩予防。この写真は右手を挙げているが、次の瞬間は左手を挙げるよう意識している。握手は右手でしか出来ないが、それ以外のことではバランスが大切だ。…
2025年4月19日 / 最終更新日時 : 2025年4月19日 hayasakay ブログ 東京高速道路(KK線)が、自動車道としての役割を終えた。 東京の都心、銀座を通っていた東京高速道路(KK線)が、今年(2025年)4月5日をもって自動車道としての役割を終えた。今後は歩行者中心の公共的空間として整備される。パリのプロムナードプランテ(4.9キロ)、ニューヨークのハイライン(2.3キロ)に続いて、東京スカイコリドー(2キロ)の誕生だ。パリやニューヨークに比べると、東京は都心の超一等地に整備されるため、景色がとても楽しい。大勢の人が、ここで楽しい時間を過ご
2025年4月18日 / 最終更新日時 : 2025年4月18日 hayasakay ブログ 街道沿いでの手振り。 かつて地方都市に仲間の応援に伺った際に知った手法が、街道沿いでの手振り。車に向かって大きく手を振りアピールするのだ。4年前杉並区のこの場所で手振りをした際、当時大学生だった長男が手伝いに来てくれた。私はタスキをしているので政治活動中だと一目瞭然だが、長男は普通の格好。それゆえ長男が手を振ると、タクシーが次々に止まり、ご迷惑をお掛けした。その長男は就職し家を離れたので、もうタクシーにご迷惑を掛けるこ
2025年4月17日 / 最終更新日時 : 2025年4月17日 hayasakay ブログ 都庁前広場に出て社交ダンス。 門ひろこさんが東京都庁に来てくれた。お天気がすこぶる良かったので、都庁前広場に出て社交ダンス。
2025年4月16日 / 最終更新日時 : 2025年4月16日 hayasakay ブログ 都政報告、闇バイト編。 私の都政報告、令和7年5月号は闇バイト編。そして対談のお相手は、高市早苗代議士。本日からポスティングを開始。もしお手元に届いたら、私に教えてほしい。早坂よしひろ 都政報告 闇バイト編…
2025年4月15日 / 最終更新日時 : 2025年4月15日 hayasakay ブログ 善福寺川調節池にご案内。 近隣住民の皆さまを、善福寺川調節池にご案内。調節池が出来たことで河川の水量が減るのは、この調節地から下流部分であることを力説。施設見学の前に私からミニ防災講演をさせて頂いたことで、皆さまの理解は深まっただろう。私でよろしければ、またいつでも講演+施設見学をセットさせて頂くので、気軽に声を掛けてほしい。善福寺川調節池…
2025年4月13日 / 最終更新日時 : 2025年4月13日 hayasakay ブログ 都議選の立候補予定者一覧。 告示(6月13日)まで2ヵ月となった今日、都議選の立候補予定者一覧が読売新聞に掲載されている。数日前、(読売でない)別の新聞がわが事務所を取材に訪れた。私はその新聞を購読していないので、取材記事はいつ掲載されるかを尋ねた。するとその記者は「しゃあない新聞ですから、わざわざ読まなくても」。私はこれに噛みついた。「ご自分が書いた記事がしゃあないというのなら、そんなしゃあないことに私を付き合わせないでほしい
2025年4月12日 / 最終更新日時 : 2025年4月12日 hayasakay ブログ 「J Prep斉藤塾」、斉藤淳さんの講演会。 「J Prep斉藤塾」という英語塾の主宰、斉藤淳さんの講演会に。斉藤さんとは以前、上念司さんの紹介で都庁でお会いして以来、久しぶりの対面。一瞬たりとも眠くならない、情熱的なだった。「インバウンドという外国人訪日客がたくさん来るのだから、日本の文化や習慣を英語で話せるようにしておこう」というお話など、実に為になる内容だった。講演会を開いてくれた門寛子さんに感謝したい。…
2025年4月11日 / 最終更新日時 : 2025年4月11日 hayasakay ブログ スウェーデンの障害者自立運動家であるヘレナさんの講演会。 スウェーデンの障害者自立運動家であるヘレナさんの講演会。私は冒頭で、次のように挨拶した。〜今年(2025年)東京で、デフリンピックが開催される。デフリンピックとは聴覚障害者の国際スポーツ大会だ。聴覚障害といえば手話だが、手話の歴史は実は短い。かつて障害児が産まれると、家族にはそのことを秘密にしたいという思いが生まれ、障害児は一生外に出さなかった時代があった。従って聴覚障害者同士も出会うことがなく、手話