2015.03.13 : 平成27年予算特別委員会(第3号)本文
「史上最高のオリンピック」

◯鈴木(あ)委員長 早坂義弘理事の発言を許します。

早坂委員 二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピックまであと五年四カ月となりました。
 舛添知事は、史上最高のオリンピック・パラリンピックを目指すとの方針を示されています。東京でオリンピックをお迎えするからには、史上最高のものを実現したい。その挑戦的な意気込みに強く賛同いたします。
 では、史上最高のオリンピックとは一体どんなオリンピックで、それを実現するためには、具体的に何をどうしたらいいのでしょうか。その答えとして、過去の大会の反省点を地道に一つ一つ改善していくことが、史上最高のオリンピックにつながるとの考え方もあるでしょう。それはそれで必要かもしれません。
 しかし私は、それだけでは決して史上最高にはなり得ないと確信します。なぜなら、ただのオリンピックではない、史上最高のオリンピックというからには、そこに猛烈なエネルギーを内在しているはずだからです。だとすれば、史上最高とは、実に大変な目標を私たちは掲げたわけです。
 私は、そのエネルギーの一つはパラダイムシフト、すなわちその時代や分野において常識だとされている認識や価値観の革命的変化にあると考えます。そこで、これまでの近代オリンピック大会の中から、パラダイムシフト、革命的変化をもたらした三つの大会を例に、二〇二〇年東京大会が史上最高のオリンピックと評価を受けるための条件を考えてみたいと思います。
 近代オリンピックの歴史の中で、私が考えるパラダイムシフト、革命的変化をもたらした大会の一つ目は、一九八四年ロサンゼルス大会です。
 それまでの大会では、競技場の建設などに多額の費用がかかり、オリンピックの収支は、どこでも赤字が続いていました。西側諸国がボイコットした四年前のモスクワ大会を一つ飛ばして、八年前のモントリオール大会では、十億ドル、二千九百億円の赤字が出たといわれています。そういう状況ゆえ、一九八四年大会の立候補都市は、わずかにロサンゼルス一つだけというありさまでした。
 そこで、当時のIOC、国際オリンピック委員会のファン・アントニオ・サマランチ会長とロサンゼルス・オリンピック組織委員会のピーター・ユベロス会長は、税金に頼らず、民間で資金を稼ぎ出すことに腐心しました。
 二人が目をつけたのが、第一にテレビの放映権、第二にスポンサーの協賛金です。
 まず、テレビの放映権料ですが、モントリオール大会が三千五百万ドルの放映権料だったのを、このロサンゼルス大会では二億九千万ドル、七百十億円と、八倍まで引き上げることに成功しました。また、スポンサーの協賛金ですが、五輪マークを使えるスポンサー企業を一業種一企業に制限して、価値を高めました。その結果、スポンサーになることを希望する企業間の競争を生み、モントリオール大会では六百二十八社、七百万ドルの収入だったものを、このロサンゼルス大会では三十五社、一億二千万ドル、二百九十五億円、つまり企業の数を十八分の一に絞り、その結果、売り上げを十八倍にまで引き上げることに成功したのです。
 最終的に二億ドルの黒字を生み出したこのロサンゼルス大会が商業主義だとどんなにやゆされても、この経済面でのパラダイムシフトがなかったら、今日のオリンピックの盛況はあり得なかったでしょう。その意味で、一九八四年ロサンゼルス大会は、オリンピックに革命的変化をもたらした大会だといえます。
 そこで、直近の北京、ロンドン両大会での組織委員会の収支状況について伺います。
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◯中嶋オリンピック・パラリンピック準備局長 過去のオリンピック・パラリンピック競技大会における組織委員会の収支状況は、政府発表や公式報告書によりますと、北京大会、ロンドン大会の二大会とも黒字と公表されております。
 二〇〇八年北京大会の収支は、中国政府によりますと、当時のレートで収入が二千八百七十億円、支出の見込みが二千七百八億円で、収支は百四十億円を超える黒字になると発表されました。
 また、二〇一二年ロンドン大会の収支は、公式報告書では、当時のレートで収入が三千六百九十五億円、支出が三千六百四十九億円で、収支は四十六億円の黒字と記載されております。
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早坂委員 ロサンゼルス大会でのパラダイムシフトが確実に財政面を向上させていることがわかりました。
 私の考えるパラダイムシフト、革命的変化をもたらした大会の二つ目は、一九九二年、バルセロナ大会です。
 それまではアマチュア選手の出場しか認められていなかった男子バスケットボールでしたが、この大会では初めて、アメリカのNBA、プロバスケットボール選手が出場しました。マイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソンなどのスター選手から構成されたドリームチームです。結果は、ドリームチームの圧勝で、全八試合で平均四十四点差をつけて金メダル、相手国のチームは、試合前にドリームチームの選手たちに写真やサインをねだっていたといいます。
 かつてオリンピックは、スポーツをすることで報酬を受け取らない、アマチュアリズムを絶対条件としてきました。その理由の一つは、古代オリンピックが神にささげる宗教的祭典であったことにあります。したがって、古代オリンピックの勝者には名誉のあかしとして、月桂樹の枝で編んだ冠、すなわち月桂冠のみが与えられたことに倣って、近代オリンピックでも、オリンピックでの勝利に金銭を絡ませるべきでないという考え方がありました。
 もう一つの理由は、スポーツを楽しむイギリスの上流階級が労働者階級を締め出すことに使った論理にあります。それは、一八六六年に英国陸上クラブが定めた最初のアマチュア規定に、労働者などの除外が明記されていたことからも明らかです。
 しかし、一九七四年にオリンピック憲章からアマチュア規定が削除されました。一つは、共産諸国でのステートアマ、すなわちトップレベルの選手を自国の公務員として雇い、実質的にプロ選手と変わらない待遇を与えることが、自由主義経済諸国と比べて著しく公平性を欠いていると指摘され続けてきたこと。もう一つは、参加資格をアマチュアのみに限っていては、オリンピックが世界最高の競技が展開される大会とはならないからです。それが、参加資格はプロ、アマを問わないということになれば、オリンピックでの勝者が名実ともに全世界での勝者と認められます。当然ながら世界新記録への期待はもちろん、大会そのものの魅力も高まります。
 その意味で、一九九二年バルセロナ大会は、オリンピックに革命的変化をもたらした大会であったといえます。
 そこで、現在、夏季オリンピック大会ではプロ選手の出場がどのくらいの競技で認められるようになったのか伺います。
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◯中嶋オリンピック・パラリンピック準備局長 オリンピック競技における選手の出場資格は、オリンピック憲章で、それぞれの国際競技連盟が定めることとされているため、プロ選手の出場の可否は競技によって異なります。
 プロ選手のオリンピック競技への出場は、一九八八年ソウル大会のテニス競技において初めて認められました。それ以降、プロ選手の出場を認める競技が徐々にふえまして、二〇一二年のロンドン大会では、全二十六競技のうち、ボクシング以外の二十五競技において認められております。
 来る二〇一六年のリオ大会では、ボクシングにおきましても、プロ選手の出場が一部可能となり、全ての競技においてプロ選手の出場が認められることとなります。
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早坂委員 バルセロナ大会でのパラダイムシフトが確実にオリンピックの競技レベルと魅力を向上させていることがわかりました。
 私の考えるパラダイムシフト、革命的変化をもたらした大会の三つ目は、二〇一二年ロンドン大会です。
 ロンドン大会では、初めて本格的に、大会開催前からレガシーについての検討がなされました。オリンピック関係者にとってレガシーは極めて重要な概念であり、その意味するところも自明であると思いますが、多くの都民の皆さんにとって、このレガシーという言葉は聞きなれないものだと思います。
 レガシーを日本語に訳せば、遺産ということになります。オリンピックを開催することで、社会にさまざまな影響力が残ります。その影響力のことをレガシーと呼ぶのです。
 それまでのオリンピックは、多くの人々の意識では、一定期間の巨大な祭典にすぎず、大会終了後のオリンピックの影響力についてまで考える人はまれでした。それが、このロンドン大会では、計画策定時から、オリンピックを開催することで、どういった影響力を社会全体に残していくかという構想を事前に定めておくことが求められるようになったのです。
 二〇二二年冬季オリンピックには、当初、八都市が名乗りを上げていました。しかし、下馬評では最有力とされていた、IOCのトーマス・バッハ会長の出身地であるドイツのミュンヘンが、住民投票などで理解が得られず立候補を断念、正式な立候補は六都市となりましたが、さらにその後、立候補辞退が相次ぎ、現在は、北京とカザフスタンのアルマトイのわずか二都市にまで減ってしまっています。
 なぜ立候補辞退が相次いだかというと、オリンピックを開催することで、例えば自然環境が破壊されるなど、都市にとってマイナスの側面が大きいのではないかとの懸念を市民の多くが持ったからです。立候補都市がなくなるということは、IOCにとって考えたくない悪夢です。
 そこで、オリンピックに立候補することは、その都市にこういうメリットが発生するということ、そして、そのメリットはデメリットよりはるかに大きいということを事前にきちんと明示しておこうというのが、レガシー重視の真の理由だと思います。
 オリンピックは浪費だという懸念を払拭し、オリンピックの持つ後世に残るプラスの影響力を事前に十分検討し、明示するという点で、二〇一二年ロンドン大会は、オリンピックに革命的変化をもたらした大会であったといえます。
 そこで、このロンドン大会のレガシーについて伺います。
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◯中嶋オリンピック・パラリンピック準備局長 二〇一二年ロンドン大会では、招致決定後、早い段階から大会後のレガシーについて検討を行い、成果を残しております。
 ロンドン大会の主なレガシーとしましては、オリンピックパークの建設を通じ、貧困、失業などの問題を抱えていたロンドン東部地域の再生を進めたことが挙げられます。
 また、大会から一年後の二〇一三年七月に公表されました英国政府とロンドン市による大会のレガシーに関する報告書によりますと、ロンドン東部地域の再生以外にも、スポーツの振興、経済の活性化、ボランティア参加率の増加、そしてパラリンピックを契機とした障害者への理解促進など、ハード、ソフト両面でレガシーを残したことが報告されております。
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早坂委員 ロンドン大会でのパラダイムシフトによって、オリンピックは開催都市にすばらしい影響力、レガシーを明確に残すようになったことがわかりました。
 ここまでお話ししてきたように、史上最高というからには、そこにそれまでの大会とは質的に異なるパラダイムシフト、革命的変化をもたらすことが絶対条件だというのが私の主張です。
 では、二〇二〇年東京大会を史上最高のオリンピックにするには、どんなパラダイムシフトを取り入れるのか。いよいよ本題に入ります。
 そのヒントは、実は前回、一九六四年、昭和三十九年の東京大会に隠されています。この東京大会では、通信用静止衛星を使った史上初の衛星生中継が行われたのです。
 史上初の衛星生中継というと、一九六三年、ケネディ大統領暗殺のニュースを思い浮かべる方が多いかもしれません。日本とアメリカで、ほぼ同時にこの大統領暗殺という衝撃的なニュースが放映されました。しかし、このときはあくまで、一九六四年東京オリンピックで衛星生中継を行うための実験放送だったのです。また、静止衛星ではない三時間で地球を一周する低軌道衛星を使ったものでしたので、日本とアメリカ双方から、この低軌道衛星が見えているわずか二十分間だけの中継でした。
 一方で、一九六四年東京大会では、太平洋上の「シンコム三号」という、ちょうど二十四時間で地球を一周する静止衛星を使うことで、継続的な中継が可能になったのです。その意味で、前回の東京大会は、大陸を超えて同時にオリンピックを見られるようになったという、それまでの常識を覆した大会となりました。これは、私が冒頭述べた三つの大会に並び得るパラダイムシフトだと思います。
 さて、先月には、九回目となる東京マラソンが開催されました。ここにもヒントが隠されています。
 東京マラソンの選手は、靴にこのようなチップを結びつけて走ります。これが選手の識別になり、東京マラソンのホームページに選手の番号を入力すれば、十キロ、二十キロの通過タイムがたちどころにわかります。また、ゴール地点にはカメラが設置されていますので、同じように番号を入力すれば、その選手のゴールの瞬間が見られるのです。三万五千人もの中から、ある選手に特化したゴールの瞬間を見られる、これはすごいことだと思います。
 そこで、もし四十二・一九五キロのあちこちにたくさんのカメラを設置しておけば、膨大な選手の中から、その選手に特化した走りが見られることになります。
 これまでのオリンピック中継は、実は一方通行で、テレビ局が放送する花形競技の映像をじっと見守るだけでした。しかし、そこにマイクロチップとカメラを設置することで、オリンピックの楽しみ方は劇的に変化します。応援する選手の開会式の行進から始まって、予選、決勝、閉会式など、全ての活躍が見られるようになるのです。
 私たちを感動させるドラマは、何もテレビ中継の入る花形競技の決勝戦だけで起きるものではありません。開会式から始まって、予選、決勝、閉会式と、全ての競技のライブ映像を思い思いの視点から見られるように、かつ、いつでも検索可能な形で見られるようにしておくこと。それは、これまで私たちがあるイベントを見る際について回った時間的、空間的制約を、人類史上初めて解き放つ瞬間かもしれません。それは、我が国の技術だからこそできる強烈な革命的変化なのです。
 オリンピックの放送と私の提案するITを活用した通信との融合は、IOC最大の収入源である放映権との絡みで、直ちに歓迎されるものではないかもしれません。しかし、幾つもの点で検討していただく価値のあるものだと考えます。
 第一に、オリンピックは四年間でわずか十七日間だけの開催だということであります。
 私の提案するアイデアは、例えば、オリンピック開催中以外の企画とするなら、テレビの視聴者は減ることはなく、むしろオリンピックファンがふえることになるでしょう。有料であっても視聴者の数は大変なものになるだろうと思います。
 第二に、二〇二〇年までの五年間で、ITを取り巻く環境はさらに劇的に変化するであろうことです。
 今日、私たちが当たり前に手にしているこのようなスマートフォンがこれほどまでに普及することを、五年前に予測した人は誰もいません。放送と通信の垣根が今と同じままであるとは限りません。
 第三に、世界七十億人がオリンピックを楽しむ環境をつくり出すことにつながることです。
 インターネットが世界を席巻していることはいうまでもありません。カバレッジといういい方をしますが、テレビが見られる世界中の地域とインターネットが見られる世界中の地域では、二〇一二年にインターネットのカバレッジがテレビのそれを上回ったという調査もあります。
 たとえどんなに小さな国であっても、自国の英雄、オリンピック選手の活躍に特化した映像を見ることができる、あるいは憧れのドリームチーム選手の活躍を一つも見逃すことなく観戦できる。さらには、南極にいても、アマゾンにいても、ヒマラヤにいても、あるいは激しい紛争地帯にいても、そこにインターネットがつながってさえいれば、母国の英雄のオリンピックでの活躍を思う存分見ることができるのです。もしかしたら、その瞬間には戦争や紛争がとまるかもしれないとさえ思います。
 オリンピックはもちろん、これまで余り注目されてこなかったパラリンピックも含めて、世界七十億人が七十億通りの楽しみ方で、大会の魅力に引き込まれることになるでしょう。前回の東京大会でも、そして今回の東京大会でも、我が国が誇るべきは世界最先端の技術力なのです。
 以上が、二〇二〇年東京大会を史上最高の大会にする、私からの提案です。しかし、私一人の提案ではなく、日本中、いや世界中からアイデアを募れば、きっと誰もが驚くような革命的変化が生まれるものと確信します。
 そこで、知事、二〇二〇年東京大会が史上最高のオリンピックとの評価を受けるために、今こそ内外の衆知を結集すべきときと考えます。二〇二〇年東京大会を史上最高のオリンピックとするためのご決意を伺います。
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◯舛添知事 今、早坂理事お話しのように、一九六四年の東京大会において史上初の衛星中継が行われました。先端技術には、大会の魅力を格段に向上させる大いなる可能性が秘められております。
 二〇二〇年大会では、国内外の英知を結集しまして、映像や通信を初めとする日本の最先端技術を駆使することで、かつて人々が経験したことがないような革新的な大会を実現して、成功に導きたいと考えております。
 そして、このことが一つの起爆剤となって、二〇二〇年の東京大会が、オリンピック・パラリンピックの歴史の中で画期的であったと後世に語り継がれるような大会となるように、全力を尽くしてまいります。
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早坂委員 ありがとうございました。
 引き続き、オリンピックに関連して何点か伺います。
 一九九八年長野冬季大会では、一校一国運動が行われ、今回の二〇二〇年東京大会でも実施が検討されています。
 長野冬季大会での取り組みとその意義について伺います。
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◯比留間教育長 長野冬季大会で行われた一校一国運動は、長野市内の小中学校、特別支援学校七十五校がそれぞれ応援する国を定め、その国の歴史、文化や言語の学習、手紙等を通じた交流、地域と一体となった選手やチームの歓迎等を展開したオリンピック教育であります。
 長野市内の学校のうち、十七年たった今でも当時の参加国と交流を続けているところがございます。この長野発の取り組みは世界の国々からも評価され、その後の大会に受け継がれております。
 今後、我が国が世界に誇るこうした取り組みについては、有識者会議において検討を進め、東京ならではの一校一国運動を展開してまいります。
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早坂委員 昨年六月、サッカーのワールドカップがブラジルで開催されました。
 武蔵野市のとある私立小学校では、日本対ギリシャの試合をみんなで一緒に観戦しようと、朝七時のキックオフに合わせて多くの児童が体育館に集まりました。ちなみに、この試合は零対零の引き分けに終わりましたが、おもしろいのは、授業が始まるので、試合が終わる直前の八時十五分に児童は全員教室に戻ったことです。児童たちのやきもきぶりを想像すると、思わず笑いが込み上げてきます。この小学校では、このほかにも金環日食をみんなで見るため、朝七時前に多くの児童が学校に集まるなどしています。
 スポーツは、みんなで見た方がおもしろい。繁華街にはスポーツパブという業態のお店もあります。ならば一校一国運動も、単に机の上での学習にとどめず、オリンピックをみんなで一緒に観戦することまで考えてみてはいかがでしょうか。もっといえば、児童生徒だけでなく、ご家族あるいは地域の方々も集まって、みんなで見れば、とても楽しいだろうと思います。
 この学校ではこの国を応援するということがわかっていれば、学校対抗の応援合戦にもなります。その国出身の外国人が近くにお住まいなら、ご招待することもできるでしょう。さらには、オリンピックをきっかけに、何かあるたびに、みんなで楽しく集まれるような習慣ができればいいなと思います。
 都立学校はおよそ二百校、オリンピックの参加国もおおよそ二百カ国。そこで、都立高校を核に周辺の小中学校が幾つか集まって、一つの国を応援すべく連携することをご提案申し上げます。
 ところで、二〇一二年ロンドン大会では、ボランティアの皆さんの活躍が注目されました。ボランティアといえば、我らが東京マラソンも大勢の皆さんに参加していただいております。
 そこで、東京マラソンにおけるボランティアの概要について伺います。
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◯中嶋オリンピック・パラリンピック準備局長 東京マラソンにおけますボランティアは、六百人程度のリーダーを核といたしまして、約一万人の規模で構成されております。
 東京マラソンのボランティアに対する人々の参加意欲は高く、募集開始の翌日には定員に達し、締め切られるほどの状況でございます。
 ボランティアは、大会前のEXPO会場でのランナーの受け付けを初め、当日の手荷物預かりや返却、コース沿道の観客整理、給水、完走メダルの授与、ランナーの応援に至るまで、あらゆる場面でランナーを直接サポートし、大会を支えております。
 東京マラソンで培ってまいりましたボランティアの実績を生かし、そのノウハウを二〇二〇年オリンピック・パラリンピック大会の成功に向けて、着実につなげてまいります。
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早坂委員 二〇一二年ロンドン大会では、二つのボランティアがありました。一つは、ゲームズメーカーと呼ばれる大会運営ボランティアで、組織委員会の仕切り、もう一つが、ロンドン・アンバサダーと呼ばれる観光ボランティアで、ロンドン市の仕切りです。大会運営ボランティアには二十四万人の応募があり、七万人が採用。観光ボランティアの応募者数は調べがつきませんでしたが、八千人が採用されました。
 二〇二〇年東京大会でも、ロンドン大会と同じように、あるいはそれ以上に、ボランティアの皆さんに応援いただくことになると思います。オリンピックに並行して行われる文化プログラムについても、ぜひ大勢のボランティアの皆さんを集めていただきたいと思います。
 さて、ボランティアをただで働いてくれる人たちと捉える人もいます。しかし、私は、ボランティアにはたっぷりお金をかけるべきだと思っています。それはアルバイト料を払うという意味ではなく、ボランティアを行っていただくための教育にお金をかけるべきだという意味です。
 ボランティアの職種には、高度な専門知識を求めるものから、どなたでも応募していただけるものまであります。このうち、後者に関して、言葉は悪いですが安かろう悪かろうにならないように、また、多くの皆さんから愛され、尊敬されるようなボランティアになっていただくためには、そのための十分な教育が必要です。
 例えば、これまで就労の経験のない若者を一定数採用するなどして、私は東京オリンピックのボランティアに選ばれたんだと自己肯定感を強めるような、そんな仕掛けがあってもいいと思います。オリンピックのボランティアに選ばれ、活動した経験は、必ずや彼ら、彼女らの人生の宝物になり、人生の転機になるでしょう。
 また、例えば、大会の映像に翻訳した字幕をつけるような仕事なら、その作業は必ずしも東京で行う必要はありません。世界中のどこからでも、デジタルボランティアに参加していただける可能性があります。アフリカのスワヒリ語の翻訳ボランティアを東京で探すことは困難かもしれませんが、インターネットにつながっていることを条件にすれば、世界中から参加できるはずです。
 オリンピックの楽しみ方には、競技に出場すること、競技を観戦することに加え、競技を支えることの三つの方法があります。この三つ目の支えること、すなわちボランティアこそが、新しい時代のオリンピックへの参加方法だと思います。そのために、可能な限り多くのボランティアを受け入れられるよう強くお願いいたします。
 私の父母と同世代の女性ですから、もう八十歳近くの方のお話です。その方は、つい最近、英会話のテキストを読み始めたとおっしゃるのです。もう私は後期高齢者だから、今さらボランティアに応募するなんてことはしないの、ただ、まちを歩いているとき、たまたま外国人に道を聞かれるかもしれないじゃない、そのときにすっと答えたいの、英語を勉強するなんて女学校以来よ、おかしいでしょといって笑うのです。
 もしかしたら外国人に道を聞かれることはないかもしれない、ただ、もし聞かれたときのために何十年かぶりに英語の勉強を始めたという、表面的には静かな、しかし内面に秘めたる燃え盛るような彼女の熱い思いに、私は涙が出そうになりました。
 もう一つ、私がよく食べに行く杉並区のとある中華料理屋さんでの話です。私が、オリンピックの開会式の一等席は十五万円なんですよとお話をしたら、次にそのお店に伺ったとき、そのご主人が、早坂さん、我が家は家族四人そろって開会式を一等席で見るからときっぱりおっしゃるのです。一等席の抽せん倍率が何十倍になるかということはさておき、十五万円が四人分で六十万円。失礼ながら、そんな余裕があるのかしらと思いました。
 しかし、そのご主人は、毎月一万円ずつのオリンピック貯金を始めたとおっしゃるのです。一年間十二万円掛ける五年間で六十万円、ちょうどぴったりです。従業員を雇わずご家族だけで賄う、まちの小さな中華料理屋さん。毎月の生活費を削ってオリンピック貯金に回し、きっとこの時間もお店で油にまみれながら、五年後のオリンピックを一等席で見ることを楽しみに一生懸命鍋を振るう、その姿に私は深い感銘を受けました。
 私たち一人一人にとって、史上最高のオリンピックとは何でしょうか。先ほどの八十代の女性でいえば、もし本当に道を聞かれたら、それは彼女にとって史上最高のオリンピックになるでしょう。また、中華料理屋さんのご主人も、開会式を一等席で見られたら、それは彼のご家族にとって史上最高のオリンピックになるに違いありません。
 では、道を聞かれなかったら、あるいは一等席がとれなかったらどうでしょう。このご主人もこの女性も、きっとレガシーという言葉はご存じないでしょう。オリンピックが赤字であろうが黒字であろうが、あるいはプロが出ようがアマチュアだけであろうが、きっとそんなことはどうでもいいはずです。ただ、人生のある瞬間、自分自身がある目標に向かって頑張っているとき、その頑張りが、オリンピック、そしてオリンピックでの勝利を目指して必死に頑張る選手の姿と交差して見えたとき、そのときこそオリンピックは、その人にとって一生忘れることのできない史上最高のオリンピックとなるのです。
 スポーツは人を勇気づけるといいます。それは、スポーツに打ち込む選手の姿を我が身に投影させるからにほかなりません。スポーツに打ち込む選手は、そこで努力、忍耐、挫折、応援、再起、成功、歓喜に直面します。まさに人生そのものです。
 鍋を振るうご主人も、英会話のテキストを開く女性も、ボランティアに参加する若者も、南極やアマゾンや紛争地帯でオリンピックを見る人たちも、世界の七十億人がそれぞれの思いで、二〇二〇年東京大会の姿を我が身に投影させることができれば、それこそが史上最高のオリンピックの名にふさわしい大会になるものと信じます。
 オリンピックはただのスポーツ大会ではありません。都市にも、私たち一人一人の心の奥深いところにも、レガシーが残ります。その大会が史上最大だったかどうかは、数字という客観的基準で決まります。しかし、史上最高だったかどうかを決めるのは、それに出場し、それを観戦し、それを支える人たちの思いなのです。
 私は、防災を人生の仕事にしたいと思い、政治家を志しました。そこに今、東京オリンピックの招致、そして大会に魂を入れる現在の準備段階において、東京都議会議員として働かせていただいていることなど、想像だにいたしませんでした。防災に加えて、史上最高のオリンピックを、ここにいらっしゃる議会の先輩、同僚の皆さん、そして知事、理事者の皆さんと真摯に議論させていただくことを、我が人生の生涯の誇りに思います。
 二〇二〇年東京大会まであと五年四カ月。史上最高のオリンピック・パラリンピック実現のために、そしてその後の東京の発展のために、皆さん、英知を振り絞り、ともに全力で頑張りましょう。